ガヒンシャの治療
話しは1963年になりますが、
当時世界第一のサッカー選手と評価された
ブラジルの至宝・ガヒンシャが右膝を痛め、
ブラジル代表チームの専属医師団の
チーフドクター・リジオ・トレド氏らの
あらゆる治療も無効で、六カ月間一度も試合に出場できず、
ブラジル中のファンたちは暗い気分に陥っていました。
たまたま私は同じスポーツクラブの
「ボタファゴ」で水泳コーチを務めていて、
若い選手たちが毎日のように訴えるさまざまな
痛みを指圧治療で
その場で取り除いていました。
これをボタファゴのサッカー部長が知り、
ガヒンシャ選手の膝も何とかならないかと
治療を依頼してきたのです。
私はクラブのドクター・リジオ・トレド氏が承諾することを
条件に引き受けました。
早速、クラブの治療室でドクター立会いのもと、
ガヒンシャ選手の治療を始めました。
わざと膝には手を触れず、
平田氏十一帯の理論を応用して
膝の反射部を探しとくに反対側の腕に主力を注いだ
指圧治療を試みました。
約二十分でガヒンシャの膝は湿かくなり、
「痛みが楽になってきた」と言いました。
次の日も同じような治療をしすしたが、
ドクターは面白くなさそうな顔で窓の外を眺めています。
三日目の治療を終えて治療台から降りたガヒンシャは、
「いろいろ動かしてみても痛くない、不思議だ!」
と驚いた様子でした。
翌日、ガヒンシャは公式試合に出場、
大活躍をしました。
このニュースはブラジル中を沸き立たせ、
ブラジルの至宝・ガヒンシャ復帰のニュースは、
スポーツ紙の一面を飾りました。
古いサッカーファンの方ならご存じのことと思います。
リオの「ジョルナルド・スポルツ」紙は一面トップ全面で
「日本人 マキ・サカエは四百年の歴史を持つ家伝の
サイエンスを以てガヒンシャを治した!」と書き立て、
「SHIATU」の大きな見出しと
私の名前が十カ所ばかりに書かれていました。
後年私がブラジルにおける指圧治療の
草分けと言われるようになったのはこれからでした。
今ではブラジル中に何千とも何万ともいわれるほど
治療家が存在するようです。
「SHIATU」は今や・フラジルでも通用する言葉になりました。
「四百年」というのは私の生家は日本で代々指圧や誠治療をしていて
私がその八代目に当たるからです。
また私は若い頃、古橋、橋爪、浜口らと共に戦争直後、
水泳の世界記録を出し続けていました。
こんないきさつから私は一九六四年の東京オリンピックには
水泳コーチとしてブラジルチームに同行しました。
その後は、水泳コーチと柔道指導の仕事はスッパリ辞めて
治療家一筋の職業となり現在に至っています。
わが生涯の仕事はこれだと自覚するようになりました。
私がブラジルにおいて手掛けた奇妙な治験例を
何かの参考になればと記してみます。